自然と人間を行動分析学で科学する

島宗 理@法政大学文学部心理学科【行動分析学, パフォーマンスマネジメント, インストラクショナルデザイン】

オバマ大統領の一般教書演説から考える日米の議会における随伴性の違いと議員にしっかり仕事をしてもらうための提案

And what the American people hope ? what they deserve ? is for all of us, Democrats and Republicans, to work through our differences; to overcome the numbing weight of our politics.

 オバマ大統領の一般教書演説(The State of Union 2011)を読んで考えされられたのがこのフレーズ。

 中間選挙で大敗した民主党だが、それを「国民は共和党への政権交代を望んでいる」とではなく、「国民は党利党略を超えて国家の難題に協力して取り組むことを望んでいる」とタクトしているわけだ。

 単なるリップサービスではなく、政策面でも共和党の主張する高所得者への減税政策を延長するなど、言行一致の政策修正がされている。どちらとも取れる“解釈”のタクトはそれと主題的に一致する行動を後付けしていくことで、客観的な“事実”のタクトとなっていくのだろうか。

 米国大統領の一般教書演説では、議員一同が野次などは飛ばさずに礼を正して拝聴するし、演説後にはほぼ全員が起立して拍手する。単なる伝統儀礼、メディア向けの演出なのかもしれないが、日本の国会の所信表明演説とはずいぶん様子が異なる。

 日本では管総理の所信表明演説後、与党各党からお決まりのような批判が表明され、「倒閣」宣言までも飛び出している。

 おいおい、国会議員の仕事は「倒閣」じゃないよ。そんなことに税金払ってないよと声を大にして言いたいし、こういう政治家の人たちを見ていると、なんて性能が低いんだろうと怒りと悲しみの感情がわき上がる。引退後、解説者で張り切っている杉山愛ちゃんに言わせればもっと“クオリティ”の高いラリーをみたいですね、って感じである。

 とはいえ、そんな政治家の人たちの能力を責めてばかりいても仕方がない。個人攻撃の罠ならぬ、政治家攻撃の罠に陥ってはいけない。

 おそらく、米国議会が大統領の一般教書演説を礼をもって聞くことや、任期中に「倒閣」などと叫ばないのは、そういう行動を強化する随伴性がないからである。米国の議会には不信任決議がないし、大統領にも解散権がない。歴代大統領の中で任期中に辞任したのは、ウォーターゲート事件ニクソンだけ。しかも、中間選挙で与党が勝ったとしても、その後、官邸にことごとく反対し、政治を混乱・中断させようものなら、大統領選挙のときに不利になる。だから、野党にとっても、与党と協力し、妥協しながらも法案を成立させていく行動が強化されるのである。

 一方、日本の議会制度には内閣の不信任案もあれば、衆参のねじれによって、関連法案まで含めると予算案も通らず、それでもそうした行動(倒閣のために国会の議事を停滞させる行動)には弱化の随伴性がない。むしろ、マスコミはその方が記事になるし、読者も読みたがるから、強化の随伴性まである。恐ろしいことに、この随伴性は与党内にまで働くから、テレビ中継される民主党の党大会でまで、執行部を批判することだけが目的の発言行動が自発されている。

 詳しい分析は政治学者さんたちに任せるとして、要するに、国会議員としての本職(国をよくするための法案作成と成立)を強化する随伴性よりも、それ以外の行動を強化する随伴性の方が強いシステムなのであり、そこを変えない限り、ずっと“クオリティ”の低いラリーが続くに違いない。そのうち優秀な「若手」やカリスマリーダーが生まれて問題が解決するだろうというのは根拠のない神話みたいなものだから信じない方がいいですよ。

 議会のシステムをどのように変えればもっと生産的な国会運営ができるのかを、誰かしっかり考えて実現してください。そんな党や候補が現われれば投票します。

 なお、これは私見ですが、最も簡単に思える解決策は、政党助成金を法案成立件数によって出来高払いするペイ・フォー・パフォーマンスの随伴性を導入し、and/or 予算が期限までに通らなかったら、全政党から政党助成金を半額没収するというペナルティの随伴性を導入できればかなり変わるのではないかと思います。

 以上、提案でした。