自然と人間を行動分析学で科学する

島宗 理@法政大学文学部心理学科【行動分析学, パフォーマンスマネジメント, インストラクショナルデザイン】

森元総理の発言について蒸し返して考えたこと:問題はそこじゃないと思うのだ。

 昨日の記事で真央ちゃんを引き合いにだしたこともあって、過ぎた話を蒸し返すことになりますが、森元総理の発言について私見を述べておきます。例の「大事なときには必ず転ぶ」ってやつです。


 最初この発言がマスコミやネットに流れたとき、真央ちゃんへの同情から「なんてひどいことを言うんだ」と世間の声が一斉に上がりましたが、間もなく全文が公開されると(たとえば荻上チキ・Session-22)、一転して、揚げ足をとるような切り取り方をしたマスコミに非難が集中し、中には森元総理への同情の声さえ聞こえるようになりました。

 自分はこの全体的な流れがまず気色悪いと感じました。ネットはいわゆるバンドワゴン効果みたいな現象が起こりやすい場です。特にツイッターなどの登場で、その場その場の発言を誘発する確立操作や弁別刺激がタイムリーに継時的に提示され、反応コストの低い行動で、メッセージやリツイート、選好されたタイムラインで同じようなつぶやきを目にすることで即時強化されるという随伴性が整えられて、誰かの発言に乗っかって行くという傾向が加速していると思います。「危うくメディアに騙されるところだったわ」と言う人たちは、すでに騙されていたわけだし、その発言さえも、同じように“騙されている”のかもしれないし、そういうことに全体的に無自覚な状態というのは健全ではないと思います。

 「みんなはこう考えているみたいだけど、自分はどう考えようか?」、「あの人はこう言っているけど、根拠はあるのかな?」、「調べてみよう」、「よくわからないから、これとこれがわかるまで判断は保留にしておこう」などなど、我々が大学で一生懸命教えているこういう思考がほとんど見たらないことに悲しさもこみあげます。ただ、そう考えている人はネットなどでは発言しない傾向にあるのかもしれず、もしそうなら少しは気が楽になるのですが....。

 さてさて、森元総理の発言について自分が考えたことは以下の通りです。

1) 基本的にはそこらのおじちゃん、おばちゃんの発言と同じだなということ。この人も真央ちゃんを応援する気持ちは世間と一緒だなということ。おそらくこの人に対する好感はそういうところにあるのでしょう。
2) でも、この人は世間一般の人ではなく、元総理であり、東京オリンピック組織委員会会長であること。
3) 公の場での発言であり、政治家、組織委員会会長の発言は、報道される可能性があることは自明の理であること。
4) 失敗や負けを「恥」とみなしているようであること(「団体戦に何も浅田さんを出して、恥かかせることなかったと思うんですよね」)
5) 上の発言からわかるように、選手ではなく監督?などに対する批判をしていること。
6) 「もっと自由にした方がいいのかも」とも思ってようだけど(「どうも日本の各競技団体のやり方が本当に正しいのかどうか。もっと自由奔放にやらせたほうがいいのかなという感じもいたしますが」)、
7) 日本には日本のやり方があるとも思っている(「日本で急にどっかそこに走ってた選手を連れてきて、社長にぽんと置けるかと言うと、どうなんでしょうかね。まあ、そこは日本のまた文化があるわけでしょうが、外国のものばっかが良く見えてくるんでしょうね」。
8) つまり、確たる方針があるわけではない(おそらく時間をとって調べたり、考えたりしたこともないのでしょう)。

 私が感情的に相容れないなと思うのは(4)。競技で負けたり、失敗したとき、本人が恥ずかしいと思うのはその人の自由だけど、それを「恥」と本人以外が言うのは筋違いだし、そういうふうに指導を進めたら(練習で失敗するたび「なにやってんだ、そんなことしていると恥かくぞ!」)、失敗に対する不安が高まるだけで逆効果です。失敗を「悔しい」と感じたとしても、次は成功しようと頑張ることをサポートする環境を整えることが大事なのです。幸いにも(素晴らしいことに)、真央ちゃんのフリーの演技はまさにこれを世界中にみせてくれました。つか、そもそも団体の女子ショート、真央ちゃん3位ですよ。世界三位。なぜそれを誉め称えず「失敗」とするのか理解に苦しみます。

 論理的に考えて問題だと思うのは、こういう価値観を持った、スポーツの指導方針についてまったくの素人の人が、それなりの地位につくこと。オリンピック組織委員会会長ですから、大きな権限を持ち、大きな予算の裁量を持ちます。そうなると、ご本人がどう思うと、その下で働く人たちの随伴性は、トップの発言に影響されます。予算や権限を手に入れるために、トップの意向にあった発言や活動が自発され、強化されるようになります。トップやそのような随伴性でトップについていく人たちと相容れない人たちの行動は制限(妨害)されたり、弱化されたりします。どこの組織でも多かれ少なかれ生じることです。

 そしてだからこそ大きな組織のトップに就いたら、自らの発言や行動が組織全体に及ぼす影響に配慮しながら行動することが求められるわけです。森元総理の発言はそういう意味で不適格だったと思います。