自然と人間を行動分析学で科学する

島宗 理@法政大学文学部心理学科【行動分析学, パフォーマンスマネジメント, インストラクショナルデザイン】

人はなぜ祈るのだろう?

 教会で祈りを捧げたり、神社で手を合わせたりするように、宗教的慣習として決められた手続きや約束事に則って行われる「祈り」もあれば、より日常的な“願い”としての「祈り」もあります。

 ソチオリンピックフィギュアスケートでは真央ちゃんの演技に対し、日本中で「跳んで」と願う声が上がったのではないでしょうか。先週ずっと風邪をこじらせていた私は、夜中じゅう咳き込んで眠れず、思わず「かみさま、咳とめて」と祈りました。

 このような「祈り」はスキナーの言語行動理論からは拡張マンド(extended mand)として解釈可能です。

 拡張マンドはマンドが刺激般化もしくは反応般化した反応です。父親とキャッチボールしているときに「ゴロ投げて」と要求したらゴロを投げてもらえて強化されたマンドが、友達とキャッチボールしているときに自発される場合が刺激般化です。友達に対してはこれまで自発されたことも強化されたこともなかったけれど、父親に対するマンドが強化されていたことで般化したと解釈します。同じ文脈でそれまで自発したことがない「フライ投げて」が自発されたら反応般化です。刺激般化した拡張マンドも反応般化した拡張マンドも聞き手によって強化されれば、定義上、通常のマンドになります。つまり、拡張マンドと言えるのは聞き手によって強化される前の初発反応だけです。
 拡張マンドには聞き手によっては強化されないマンドもあります。どちらも、習得済みのマンドが刺激般化、もしくは反応般化したものです。

 迷信的マンド(superstitious mand)は聞き手に強化されることはありませんが、たまたま偶然に強化されることがある拡張マンドです。一緒に遊んでいる友達に「なわとびとんで」とお願いしたり、プールで遊んでいるときに「とべ〜」と声をかけたりしたときに友達が跳んでくれることで強化されてきたマンドが、テレビの向こうの真央ちゃんに自発されるのは、刺激般化でもあり、「トリプルアクセルとんで!」なら反応般化でもあります。そして、真央ちゃんは失敗することもありますが成功することもあり、私たちのマンドとは無関係ではありますが、偶然強化され維持される反応です。

呪術的マンド(magical mand)は聞き手に強化されることもなければ、偶然に強化されることもない拡張マンドです。ソチの真央ちゃんのフリーの演技を見たあと、「時間を巻き戻してもう一回ショートをできたら」と思った(願った)人もいたでしょう。「時間を巻き戻して」は偶然にも強化されることがない呪術的マンドです。

 私の「かみさま、咳とめて」はどちらとも言いがたいところです。偶然でも咳がとまったことは記憶の限りはありませんが、論理的には言い続けていればいつか咳は止まりますから。雨が降り続いているときに「やんでくれ〜」と思うのも同じような随伴性です。

 呪術的マンドは強化されないのになぜ維持されるのでしょう。一つには拡張マンドの元になる通常のマンドは強化され続けているからです。もう一つには呪術的マンドを自発させる好子や嫌子の確立操作が強力だということでしょう。

 このように「祈り」とみなされる行動の中には、信仰や宗教とは無関係に、マンドが派生した拡張マンドとして解釈できるものもあるのです。

 参考文献:『行動分析学入門』 第21章 言語行動

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