「だって、先生、実験に協力しれくれるって、20分くらいならともかく、1時間とか2時間なんて無理ですぉ〜」と、卒論の実験参加者を集めるのにへこたれそうなゼミ生に、ついつい「昔なんてそんなのあたりまえだったんだよ」って言ってしまった。
今は千葉大の心理で教えている木村英治先生は自分の一年先輩なのだが、木村さんの卒論では、一日2-3時間、半畳くらいの真っ暗な実験装置に入りっぱなしでずっと光点をみつめていたし、自分の卒論では後輩に1セッション30-40分のレバー押しの実験を12-15セッションやってもらった。
ゼミ生からはさっそく「今は昔と違うんですよ」と大反撃されてしまった。ただこの反撃はちょっと勘違い。昔はできたんだから今でもできるはず。「だからとにかくやりなさい」と言っているわけではなくて、昔と今はどこがどのように違うのかを考えれば今でもそのような実験にも参加してくれる参加者を集めることができるのではないか?だからあきらめないで「どこが違うんだろう?」って考えてみようよっていうきっかけを提示しているつもりなのだ。
ちなみにこの手の勘違いはよくある。「なんでできないのかな?」という質問は彼らにとっては「そんなこともできないの?」とか「だめじゃん」とか「ちゃんとやれ」と等価らしいのだが(つまり嫌子なんですね)、自分にとっては、たとえばPCが起動しないときに「なんで起動しないのかな?」と自問自答して、電源ケーブルを確かめたり、ディスクを確認したりするのと同じ、問題解決のための弁別刺激なのだ。
と、詳しく説明しようとしたら、もう帰ってしまった。
ま、長年の学習履歴で形成された等価性だろうから、言語的説明だけですぐに機能がわかるとも思えない。急がなくてもいいか。
(お、つぶやきっぽい、これ)