自然と人間を行動分析学で科学する

島宗 理@法政大学文学部心理学科【行動分析学, パフォーマンスマネジメント, インストラクショナルデザイン】

指導目標を決める思考

新学期が始まり、サマースクールに参加した先生たちによる事例研究がいよいよスタート。

7つの学校でのべ40以上の事例が取り上げられている(新記録更新中)。

指導目標を標的行動として定義し、ベースラインを測定する段階だが、このステップがけっこう難しい。子どもの生活にとって大切で、先生が学校で教えられる行動を選ばなくてはならない。例年、この段階であまり適切ではない行動を選んでしまって、後々まで糸を引くことがあるので、今年は特に注意を払っている。

そんな中「う〜ん」と唸ってしまう目標がでてきた。

『体育館で泣かずに教師と肩を並べ一人で決められたコースを10周歩く』という目標だ。

何かが引っ掛かるのだ。直感的にどこかヘンだと思うのだが、うまく説明できない。「肩を並べ」と「一人で」が矛盾しているが、これは些細なこと。他に《何か》ありそうだ。

そこで、少し時間をもらって、一人で考えてみることにした。「直感」を「理論」で裏付けられるかどうかの作業をしてみる。

体育の時間、決められたコースを歩くように指示しても、動かなかったり、体育館から飛び出したり、先生を叩いたりする妨害行動が出現するなら、その原因を機能分析で調べてから、たとえば、何をしなくてはならないかを明確に示す(先行条件Aの整備)、「つかれました」「休ませて下さい」など、妨害行動と等価でかつ社会的により望ましい行動を教える(他行動Bの強化)、あるいは歩き終わったら好きな活動に従事できる(結果Cの整備)などの指導策が考えられる。

聞けば、このお子さんは、登下校時や散歩の時には泣かずに歩けているという。歩くこと自体が嫌子というわけではないらしい。

このお子さんの「泣く」がオペラント行動なら、上述の妨害行動と同じようにその機能をABC分析して、原因に見合った指導を考えるべきであろう。もし、先行条件にも結果にも問題がなく、他行動を教える必要があるなら、指導目標は『体育館で歩くとき、疲れたら「休ませて下さい」と要求できる』になるだろう。

なんとなく引っ掛かった理由(その1):

指導目標を決める前に、なぜ泣いてしまうのか?という原因推定が行われたのだろうかと思ったこと。

さらに考えてみる。

『体育館で泣かずに....』という記述は『泣くのを我慢して...』のようにも読み取れる。もしそうなら、これも引っ掛かるところだ。嫌なことを我慢させることも大切かもしれないが、むしろ「なぜ泣いているのか」その気持ちを他の人に使えるコミュニケーションを教えた方が、長期的なQOLの向上には役に立つからだ。

なんとなく引っ掛かった理由(その2):「嫌なことを我慢する」という指導よりも「嫌なことを伝える」という指導の方が長期的には役に立つから。

さらに考えてみる。

このお子さんの「泣く」がレスポンデント行動だったらどうなるだろう。犬に噛まれてから犬の写真を見ると泣き出すようになった子どもに、犬の写真を見せ続けることは、指導としてはかなり大ざっぱだ。レスポンデントの消去によって泣かなくなることもありえるが、写真を見せて泣くことで、そのときの状況(教師や教室など)が派生の原理により、副次的に条件性の嫌悪刺激になってしまう危険性もある。

なんとなく引っ掛かった理由(その3):レスポンデント的に泣いているなら、泣かせ続けることでうまくいくこともあるが、失敗してさらに泣くようになってしまうこともある。注意深い介入計画が必要である。

さらに考えてみる。

担任の先生たちによれば、体育館を歩くという習慣を身に付けることで、このお子さんの健康増進にも役立てたいとのことである。しかし、もし健康増進が長期的な目標であるなら、余暇につながるような、すなわち本人が自ら選んで活動しそうな運動を選んだ方がいいだろう。それはエアロバイクかもしれないし、バスケットボールかもしれないし、家の近所を散歩するということかもしれない。

なんとなく引っ掛かった理由(その4):長期目標と短期目標、そして指導目標(標的行動)が一貫していない。あるいは、下位目標が上位の目標達成のための最適な目標とはいえない。

さらに考えてみる。

先生たちから提出された資料の中に「運動会に参加できるように」という趣旨の説明があった。他のさまざまな運動からあえて体育館の中を歩くことを選んだ背景には、「そうすれば運動会に参加できるから」という先生方の意図があるのだろう。しかし、個別の指導計画を作成する本来の目的は、一人ひとりの教育ニーズにあった指導をするためであり、学校の行事に子どもたちをあわせていくというのは、実はまったく逆行した発想なのだ。

なんとなく引っ掛かった理由(その5):指導目標の選択が、子どものニーズというより、学校のニーズにあわせたものである可能性がある。

というわけで、このweb日記を使って、「直感」を「理論」で裏付けられるかどうか、web日記を使って自分の考えを整理してみた。

あとは担任の先生方にうまく伝えられるかどうかだ。

学校現場で日々子どもたちの問題行動に取り組んでいる先生方にとって、問題行動の原因や、そもそも何が問題なのかをじっくり考え、しかもそれを一人ひとりの児童・生徒の長期的なQOL向上と結びつけた上で指導計画を作るという作業は確かに難しい仕事だ。

指導計画を考える前に、ほんとうにどこに問題があって、その原因は何なのかを考える時間的余裕や機会があまりなく、すぐに指導を始めなくてはならない、せっぱ詰まった状況なのだと思う。

事例研究をするということは、いつもより時間をとって、このような思考をめぐらせるいいチャンスだ。あとは、いかにこのような思考を促し、習得できる教材や研修プログラムが組めるかということになる。これは、我々、教員養成系大学に勤める者がしなくてはならない仕事である。

さて、この事例に取り組んでいる先生方とは来週ミーティングをすることになっている。その前に、いくつか提案をしておこう。

長期目標が「健康」に関わるのなら、「運動の時間に自ら取り組める(選択肢を提示すれば選んで行う)運動レパートリーをいくつか持つ」が中期目標になり、短期目標としては「自分で進んで5分間できる運動が一つ以上ある」になるのではないだろうか? この場合、指導の手続きとしては、このお子さんにさまざまな運動の機会を提示して、その中で自分で選択する運動を強化することなどが考えられる。

長期目標が「社会性」に関わるのなら、「集団の中で決められた活動に従事できる」が中期目標になり、短期目標としては「他に子どもがいる体育館で教師の指示に従って1つの課題を遂行できる」になるだろう。その中には「教師と一緒に1周する」などが入ってくるかもしれない。

「泣く」に関する長期目標は「社会性」あるいは「コミュニケーション」に関わることかもしれない(その機能がオペラントの逃避・回避なら)。その場合、短期目標は「自分の気持ちを相手に伝えられる」などになり、標的行動としては「体育の時間、疲れたときは休憩を要求できる」などが立てられるのではないだろうか。

「泣く」がレスポンデントだったら、長期的目標は「情緒的安定」になるのかもしれない(このあたりは自分でもあまり自信がないのだが)。「学校生活を楽しく過ごせる」が目標になるのなら、泣く行動を引き出している条件性刺激を突き止めて(「体育館」かもしれないし「先生と肩を並べる」かもしれない)、レスポンデント的関係を弱める指導が必要になる。たとえば、体育館では楽しいことばかりをまずはして(マットに寝転がる、音楽にあわせて自由に動くなどなど)、そこから徐々に苦手な状況に近い課題に近づけていく(系統的脱感作法的指導)。

以上。