自然と人間を行動分析学で科学する

島宗 理@法政大学文学部心理学科【行動分析学, パフォーマンスマネジメント, インストラクショナルデザイン】

なぜ原稿の〆切が守れないか?

 学生が授業に遅刻したり、レポートの〆切を守らないことがあるように、私たち大学教員も授業や会議に遅刻したり、原稿の〆切を守らなかったりする。

 先週はゼミの時間に遅刻してしまった。めったにないことなのだが、再発防止のため、遅刻するたびにゼミの打ち上げ基金として五百円ずつ積み立てることにした。ちなみにこれは私だけの特別ルールで、学生の場合は遅刻15分につき出席点が1点ずつ減点となる。

 大学教員にとっては論文や専門書を執筆して発表する仕事の優先順位はかなり高いことになっている。ところが、授業や会議や学生の指導やその他の雑用に比べて、この仕事は遅れがちな仕事でもある。

 毎年何本か着実に論文を書いている人もいて、つくづく感心・尊敬してしまうのだが、こういう人は少数派である。多くの教員は〆切を守るのに必死だし、〆切を守れない人も少なからずいる。

 大切な仕事であると認識しているのに、どうして原稿の〆切を守るのがそれほど難しいのだろうか?

 理由は学生が授業に遅れる原因とまったく同じように分析できる。つまり、脱稿まで必要な作業を書きだす課題分析の不十分さ、各作業の見積もりの不正確さや細かな〆切が設定されていないこと、そして進捗の監視が行われないこと、である。

 ここでは依頼された仕事を引受けるのにも関わらず、〆切を守れないことについて、さらに分析してみよう。

(一)仕事を引き受ける行動は強化されやすい

 「原稿をお願いします」「査読を引き受けてくれませんか」というお願いに「はい」と答える行動には時間も労力もかからない。たいへんなのは(後悔するのは)引受けてからずっと後になってからだ。

 しかも仕事を引き受けると依頼者から「ほんとうに助かります」「いつもありがとうございます」といったお礼がすぐにもらえる。最近では電話ではなくEメールでの依頼も増えたが、返事を出して数分のうちに感謝のメールが返ってきて驚かされることもある。

 心意気のある人ほど、こうした社会的な承認に弱い。研究によって世の中に貢献したいと思っている人ほど、依頼を断りにくくなる。

 ところで、自分もよくやることだが、引き受ける前に、いかに忙しくて時間がないか説明する人もいる。断るわけでもないのにだ。こうした説明によって依頼者からの感謝の意が大げさになること(「先生のようにお忙しくて時間がないにも関わらずお引き受けいただき、誠にありがとうございます」など)で強化されているか、あるいは〆切に関して交渉の余地を作ることで(「〆切は少し遅らせていただきますのでお願いします」)強化されているに違いない。

 「明日までに原稿を書いて下さい」という依頼に「はい」と即答する人は少ない。たとえそれだけの時間的な余裕があったとしてもだ。なぜなら、その場合には「はい」の行動にかかるコストが行動の直後にやってくるからである。

 同じ依頼でも〆切が半年先なら、たとえその時期が入試などでちょうど時間的余裕がない頃であっても「はい」と答える人が増えるだろう。なぜなら「はい」の行動にかかるコストは半年先までやってこないし、それまでになんとかなるだろうと思うからだ。

(二)依頼を断るスキルが未熟

 人間関係を損ねずに依頼を断るのが難しいこともある。特に自分の仕事を評価してくれる人からの依頼を断るには、人の目が気になるタイプの人や義理堅い人にとってはとても辛いはずである。あまりに辛いからそれならいっそ引受けてしまおうということになる。

 これはスキルというよりは戦略論だが、私の場合、現在抱えている仕事を説明し、依頼されている仕事に取りかかれそうな時期を正直に正確に伝えることをする。それが相手の想定している〆切よりもはるかに将来のことであれば、仕方なく諦めてくれる。

 「そういう仕事であれば自分よりも○○先生の方が適任ですよ」と自分以外の人に振ることもできるが、これをやりすぎると○○先生から怒られるし、逆襲されたりもするのでほどほどに。

(三)「真の」〆切が存在しない

 授業には〆切がある。教室に行かないと休講になってしまうからだ。会議も、行かなければその日の会議は欠席となり、その議題には永久に参加できない。

 ジャンボ宝くじや懸賞ハガキ、深夜のTVショッピングで売っている限定数つきのお買得品も、その時を過ぎると永久にチャンスを失うか、まるで失ってしまうと思わせる〆切がついている。

 こうした〆切には確かに行動を引きだす効果がある。

 ところが原稿執筆の仕事には、たとえそれが依頼された仕事でも、こうした意味での〆切はないことがほとんどだ。〆切までに書けなければ、〆切が延期されるだけだから。

 複数の研究者で共同執筆する場合でも、〆切を守った人の原稿だけで出版してしまうという話はあまり聞かない。出版のチャンスを永久に失うリスクは低いから、〆切の持つ効果も薄い。そして「まだ他にも書いていないひとがいるから」と、次の〆切の効果もますます薄くなる。

 はっきりとした〆切がないから、授業や会議や目の前にいる学生の仕事など、より〆切がはっきりとしている仕事の方が先になる。

 着実に論文を書いている人は、週に1~2日、大学に出てこないで自宅で執筆に専念するようにスケジュールや作業環境を構造化している場合が多いようだ。

 そしてしっかりとした課題分析と見積もりによって、自分がこなせる仕事以上の仕事は引受けない。人によっては、仕事の依頼のメールや留守電には返事をしないという方針まで貫いていたりする。

 大学教員という仕事の中で、論文や専門書を執筆することの優先順位が高いことを考えると、それだけ極端な介入を導入することも充分に検討に値するだろうなぁ。