資格制度って難しい。
本来は、最初に専門的な知識や技能に対するはっきりとしたニーズがあって、それを習得して実行できる専門家集団がある程度存在して活躍しているが人手が足りない状況で、この専門家集団を安定して供給する(育成し、雇用する)ための手段のはずである。
ある資格を持っていれば、その資格で保証される仕事ができなくてはいけない。これが資格の信頼性だ。
そしてその「できること」は職場で(そして社会で)望まれていることでなくてはならない。これが資格の妥当性だ。
現在の「教員免許」は、免許を持っていればこれは必ずできる(少なくても持っていない人に比べて確実にうまくできる)と保証できることがあまりに少ないのではないだろうか?
教員養成系大学や学部で、それぞれ教員養成に携わっている先生方の努力にもかかわらず、果たして、大学で教えていることのどれほどが、ほんとうに学校現場で望まれていることなのだろうか?
教員の専門性を高めて、教育の質を向上させるのは国をあげて挑むべき最優先事業だ。だが、現状の「教員免許」のように、信頼性・妥当性ともに疑問符がつくシステムを大学院まで単純に拡大するような「専門性大学院」では、資格制度の本来の目的を達成するのは困難だと思う。
対案:
文科省主導のこうした改革とは独立に、各学校や教育委員会(雇用側)と各大学(養成側)で、学校に必要とされている技能・知識などの専門性を書き出して、それをベースとした養成システムをローカルにつくっていく。
採用側は、卒業生や修了生についてこの独自の評価システムを使った評定をして、その結果を大学へフィードバックする。大学はそれを活かしてプログラムを改善していく。
雇用側と育成側のこうしたフィードバックループができれば、専門家養成のシステムもでき上がっていくはずだ。