自然と人間を行動分析学で科学する

島宗 理@法政大学文学部心理学科【行動分析学, パフォーマンスマネジメント, インストラクショナルデザイン】

「もう別れよう」を視考する

つきあってて時々「もう別れよう」と思うことがある。

昔はそう思ったら最後、速攻で別れてたような気もする(若かったなぁ〜)。

最近ふと考えた。「別れよう」と思う行動は、実はスケジュール誘導性攻撃行動の一種ではないかと。

スケジュール誘導性攻撃行動とは、高負荷の比率スケジュールや消去によって引き起こされる攻撃行動で、人だけでなくハトやネズミでも確認されている(キンギョで実験したこともありました)。

ハトの場合、たとえばキーを100回つつかないと餌がでない条件にして、そのときに他のハトやハトの模型を実験箱に入れておくと、キーをつつく前にそれをつつきまくる。人でも同様の実験が行われている(ただし、攻撃対象は人形やパンチングボール)。

そこで「別れよう」と思う行動を視考してみた。

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自分の場合、「メールするね」って言ってたのにメールが来なかったり(携帯に着信通知がないかどうか見る行動が消去される)、「仕事で遅くなりま〜す」ってメールがきてたのに帰ってきたら飲み会だったことがわかったり(酒・タバコくさくなって嫌子出現)、「言われなくても片付けるわよ」って言ってた髪の毛のついたブラシが洗面所に放置してあったり(片付け要求の消去と嫌子の出現)すると「別れよう」と思う(これだけじゃないけど、代表例)。

決して本当に別れたいわけではない(と思う)。

別れてしまえば、「別れよう」と思う行動を誘発している、どちらかといえば迷惑でアンハッピーな刺激や条件からは逃避できるけど、その他の楽しくハッピーな刺激や条件も失ってしまうから。

若気の至りとは、こうした随伴性に気づかずに、「別れよう」と思うことはすなわち「嫌いになった」とか「あわない」ことと思い込み、そのままそれを口にだし、相手の表情が変わることで強化されるという短期的な環境変化に行動が制御されている状態なのかもしれない。

(そういや夕飯を待たされるだけでも「別れよう」って思うときあるもんな)