自然と人間を行動分析学で科学する

島宗 理@法政大学文学部心理学科【行動分析学, パフォーマンスマネジメント, インストラクショナルデザイン】

ABC分析の下位行動としての仮定法

以前書いたように、大学院の演習ではセルフマネジメントのプロジェクトを教材にして、標的行動を決めたり、問題行動の原因を推定したり、記録をとって判断するスキルの習得を目指している。

同時にABC分析の集中トレーニングもやっている。ABC分析は一見とても単純なのにも関わらず、奥が深い。役に立ちそうなのになかなか習得できず、受講生にとってはフラストレーションがたまる課題になっている。

教え手としては、ときどき(つ〜か、かなり頻繁に)「え、なんでこんな簡単なことがわからんの?」と個人攻撃の罠にはまりそうになる。

支援ツールとしてABC分析チェックリストを作ったこともある。でも、「行動は死人テストをパスしていますか?」とか「結果には環境の変化が書かれていますか?」など、どうも表層的なチェックに終わり、より本質的な、行動分析学的思考の支援ツールには至らなかった。

今学期の演習ではしつこいくらいに練習していることもあり(これは受講生の9割が希望したため)、ABC分析の下位行動かもしれないと思える思考レパートリーがいくつか見えてきた。

たとえば、こんなエピソードのABC分析

夕食後、食器を台所に運んでもついつい洗うのを後回しにしてしまう。それで食器がたまっていき、台所が片づかない。ほんとはきれいにしたいのに....

(やってみますか? ABC分析

まず現状のABC分析をしてみましょうというと、行動の欄に「食器を洗わない」と書く人が現れる。が、「死人テスト」をプロンプトすれば間違いに気がつく。上記の表層的なチェックリストでカバーできる範囲だ。

ところが、では行動の欄に何を書くか?となるとつまってしまう人がでてくる。「洗うのを後回しにする」は「洗わない」を言換えているだけなので×。

正解は「食器を洗う」。

「え、現状では食器を洗ってないのに?」という反応が返ってくる。現状のABC分析は、標的行動がなぜ自発されないのか(あるいは自発されすぎるのか)を分析するものだとは説明しても、それだけだと不十分のようだ。

納得のいかない様子で行動の欄に「食器を洗う」と書いた後、今度は結果の欄に何を書いていいか悩んでしまう。現状では食器を洗っていない。それなのにそれにどんな結果があるのだろうか?ということらしい。

正解は「台所がきれいになる」。

そう「食器を洗えばきれいになる」という随伴性は現状ですでに存在しているのだ。行動は自発されていなくても随伴性はある、どうやらこの区別が難しいらしい。

ただ、もちろん行動が自発されていないのだから何かしらの理由が他にあるはず。食事の直後はお腹もきつい。そんなときに食器を洗えば苦痛である。おそらくこの「苦痛」が嫌子として行動を弱化しているのだろう。

また、一回の食事ぶんの食器ならそうそう台所全体が汚く見えるわけではない(特に一人暮らしなら)。また、もともと汚れている台所なら(テレビにでてくるゴミ屋敷のような)、一回の食事ぶんの食器が増えたところで、そうそう全体の見栄えが変わるわけではないかもしれない。だから台所がきれいになるという結果はそういう場合にはチリも積もれば山となる型で、行動を十分に強化しないに違いない。