自然と人間を行動分析学で科学する

島宗 理@法政大学文学部心理学科【行動分析学, パフォーマンスマネジメント, インストラクショナルデザイン】

もしドラッカーが行動分析家だったら:ドラッカーの名言を行動分析学から解釈する(その1) 「総体は部分の集合とは異なる」

 『もしドラ』(最初聞いたときは「もしドラッカーが高校野球の女子マネージャーになったら」かと思ってた)は発行部数が200万を越え、2010年文句なしのベストセラーになったそうだ。「スーパージャンプ」で漫画の連載も始まり、柳の下のどじょう的な本も多数出版され、まだしばらく流行が続きそうな気配である。

 てなわけで、今回はちょっとふざけて(でも半分以上は真面目に)、もしドラッカーが行動分析家だったらという想定の元、週間ダイヤモンド 2010年11月6日号に掲載された特集『みんなのドラッカー:Part 6 ドラッカー名言集』(Pp. 74-81)を参考に、ドラッカー先生の名言を行動分析学から解釈し、翻訳してみようと思う。

 一応、シリーズ化宣言。でも途中で飽きるかも。

 自分は経営学者じゃないし、ドラッカーの専門家でもない。勘違いとか思い違いとかあったら、ごめんなさい(と、最初から謝っておく)。

名言〔第30位〕:「総体は部分の集合とは異なる」

解釈:会社を形づくる一人ひとりの社員の行動や社内の小集団(係・部・チームなど)の行動をマネジメントできたとしても、会社全体がマネジメントできるとは限らない。個人や小集団の行動を強化する随伴性が社内で矛盾したり(例:営業が納期を早めて受注することは、製造にとっては必ずしも好子にはならない)、相反したり(例:研究開発の予算をある製品に集中させることで、他の製品開発費が減る)するし、マネジメントしようとして部下の行動の随伴性を変えればそれに応じてマネジメントする側の随伴性も変わるという相互作用もあるからだ。経営者には、個人や小集団のパフォーマンスを最適化する随伴性を導入するだけではなく、社内のさまざまな随伴性を調整し、好子と嫌子の配分を決めていく仕事が期待される。すなわちこれは、科学というよりは工学の方法論なのである。