自然と人間を行動分析学で科学する

島宗 理@法政大学文学部心理学科【行動分析学, パフォーマンスマネジメント, インストラクショナルデザイン】

『二十一世紀の自分探しプロジェクト キャラの檻から出て、街に出かけよう』

熊野宏明氏というお医者さんが書かれた裏(?)行動分析学本です。

著者ご本人が「はじめに」に書かれているように『二十一世紀の自分探し』というタイトルからはフシギ系の怪しい本のような印象を持ちかねませんが、内容の大半は行動分析学の考え方、特に、ACT(Acceptance and Commitment Therapy)の紹介になっています。

ペッパーバーグによるアレックスの研究や関係フレーム理論(Relational Frame Theory)の紹介から、言語行動論をふまえて、マインドフルネスとはどんな状態なのかをわかりやすく解説している本です。ACTの概略をざっと理解するのはとてもいい本だと思います(新書だし)。

ただ、所々に専門的な概念の解釈が正確ではないところもみつかります。誤解が生じるといけないので、そのうちいくつかを指摘しておきたいと思います。

p.71には「確立操作」が「(餌が)強化子として機能するための個体側の条件」と定義されていて、その例として「空腹」があげられています。しかし、これは間違い。確立操作は行動分析学において「動機づけ」を個体の内部ではなく環境操作として操作的に定義するために整理された概念であり、この場合「餌の遮断化」が確立操作になります。また、餌を強化子として確立する操作は「餌の遮断化」に限りません。「運動」もそうだし、人の成人の場合、たとえば自分の子どもが「チョコが欲しいぃ〜」と泣いていれば、自分はチョコに対して「空腹」ではなくても、チョコが強化子として確立され、棚からチョコを取り出す行動が誘発され、強化されるかもしれません。このあたり、詳しくは、拙著『行動分析学入門』やJack Michaelの『Concepts and Principles of Behavior Analysis, Revised (2004) Edition』をご参照下さい。

p.72には「(もう一つの)随伴性行動」として、レスポンデント学習(パブロフ型の条件づけ)が紹介されていますが、ルール支配行動に対応する随伴性行動はオペラントに限定する(レスポンデントは含まない)のが一般的です。

p.76では“わが国を代表する行動分析学者の佐藤方哉氏は「われわれが、いわゆる『自由意志』を持っているという考え方はまったくの幻想である」と表現しています”との引用があります。残念ながら原典が参照されていないので、佐藤先生のどの文献を引用されているのかは不明ですが、この考え方は元々は行動分析学創始者であるB.F.スキナーのものです。しかも前後の文脈がないとたいへんな誤解を招くので地雷のように要注意な物件です。

スキナーは、そしてもちろん佐藤先生も、われわれが環境に対して積極的に働きかける生き生きとした生物であることは否定していません。否定してないどころか、環境に働きかける自発的な行動としてオペラントを定義したくらいです(どちらかというと、行動そのものの形態は遺伝的に固定されているレスポンデントに比較して)。

『自由意志』が幻想であるという表現は、行動の原因(行動を引き起こす究極の原因)は実体のない「意志」にあるのではなく、それを強化する環境(系統発生的に学習される遺伝要因も含めて)によって影響されるという主張でしかありません(いわゆる「Locus of control」の問題です)。

「○○しなくちゃ」とか「自分はこうありたい」というように、我々が頭で考えているような、実在する言語行動(それをもって人は「意志」と呼ぶとしても)の存在を否定しているわけではないのです。もちろん、たとえば憲法で保障されている様々な人権としての「自由」を否定しているわけでもありません。

要は、行動の制御変数をどこに見いだすかという話です。このあたりの話は『行動理論への招待』という本に詳しく、しかもわかりやすく書かれていますから、ぜひご参照下さい。

行動理論への招待 行動理論への招待

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注意して読み進めていくと、このように、いくつか「あれれ?」と思うような点もありますが、全体的には読みやすいし、その割には、仏教とマインドフルネスを対照させたり、それとACTの関連性を考察したりと、概念的分析のレベルはかなり高度で、楽しめる一冊です。行動分析学から「意志」とか「認知」を捉えようとしている人にもお勧めです。