自然と人間を行動分析学で科学する

島宗 理@法政大学文学部心理学科【行動分析学, パフォーマンスマネジメント, インストラクショナルデザイン】

石は計算しない

「鳥が群れたりアリが秩序だって動いたりするのはなぜか。生物がアルゴリズムに基づき情報処理しているからで、『自然は計算している』ともいえる。自然や社会に潜むアルゴリズムの解明が新しい挑戦分野だ」

2008年度の京都賞を受賞したカリフォルニア大学バークレー校のリチャード・カープ教授の談話である(日経新聞, 2008/11/17)。

「自然は計算している」と「生物がアルゴリズムに基づき情報処理している」とは必ずしも同義ではないが、前者にも、後者にも、そこはかとない違和感を感じてしまう。

そこで「違和感」の正体を考えてみた。

たとえば、海流や潮の満ち引きは、一見複雑でデタラメに見えながらも、実は一定の法則性をもった地形(リアス式海岸とか)を形作る。精巧に作られたサイコロを振れば、1から6のでる頻度は、最初は偏りがあっても、長期的には収束していく。

それを、砂や、水や、サイコロが、“アルゴリズムに基づき情報処理している”とは、カープ教授でも、たぶん言わないだろう。生物の話になったとたん、現象の原因をそこに求めてしまっては、モーガン公準をおかすことにはなるまいか。

自然科学は、それが物理学であれ、生物学であれ、心理学であれ、自然の法則性を記述することが仕事である。それは、まさに、“自然や社会に潜むアルゴリズムの解明”である。しかし、法則性が見つかったからといって、その主体(主体という構成概念を設定すること自体、検討を要するが)が法則性を生みだしていることにはならない。

「違和感」の正体は、そこから、計算の主体を想定し、ほぼ根拠のないまま断定してしまっているところにあったようだ。

もちろん、新聞や雑誌の記事の取材においては、しばしば、語ったことがそのまま活字にはならないこともある。カープ教授の談話も、歪んで伝えられているのかもしれない。