たとえばB型やAB型の人は「少し変わっている」というのがこの業界の定説である。
友達同士で旅行に行くという場面を考えてみよう。それぞれが別々の観光スポットに立ち寄りたいとする。こんなときには皆の要望ができるだけ通るように話し合って決めるというのが、日本的な集団生活のルールだ。
少なくとも昔は、幼少時からそうやって教えられてきた人が多かったから、自分のわがままを通すという行動は抑制された(わがままを言うと、「わがまま言わないの!」と消去・弱化された)。
でも、そんなとき「B型は少し変わっていて」「自分の意見を通す」という定説がこの仲間で共有されていたら。B型のBさんは、A型のAさんやO型のOさんに比べたら「私は○○へ絶対に行きたいの」と発言しやすいかもしれない。かつ、他の人も「Bさん、やっぱりB型ね。仕方ないわね」とあきらめやすいかもしれない。
血液型信仰によって、このように、血液型によって社会的な随伴性が異なれば、その結果、Bさんが少しわがままに自分の意見を言う行動は、次に同じような事態になってときに繰り返しやすくなる。そしてそのぶん、A型のAさん、O型のOさんには、ますます自分の意見を言う機会が少なくなっていく。
メディアに血液型性格論が横行して、幼い頃から友達同士で血液型と性格の関係について語り合い、友達の行動の「原因」を血液型で説明する行動が強化され続けられ、上記のようなやりとりが他のいろいろな生活場面で何百回、何千回と繰り返されれば、ありえないことでもあるまい。
A型のAさんやO型のOさんがわがままを言うと
A:先行条件 | B:行 動 | C:結 果 |
急にどこかに行きたくなって | 「私、○○見に行きたい」 | 「わがまま言わないの」 行きたいところに行けない(↓) |
B型のBさんがわがままを言うと:
A:先行条件 | B:行 動 | C:結 果 |
急にどこかに行きたくなって | 「私、○○見に行きたい」 | 「仕方ないわね。さすがB型だわ」 行きたいところに行ける(↑) |
もちろん、B型の人はA型やO型の人に比べてわがままである!と言っているわけではない。誤解のないように。