自然と人間を行動分析学で科学する

島宗 理@法政大学文学部心理学科【行動分析学, パフォーマンスマネジメント, インストラクショナルデザイン】

はるがきた:やんちゃな小犬の子育日記(番外編11-3) 権勢症候群(アルファシンドローム)という考え方には科学的な根拠がないだけでなく、問題行動を重篤化させるリスクがあること[その3]

 科学的な根拠がなく、臨床的にもリスクが大きいのに、権勢症候群の考え方がなぜにこんなにも蔓延しているのでしょうか。

 その前に。アメリカの獣医師と動物行動学の研究者がつくる学会、American Veterinary Society of Animal Behavior (AVSAB) では、2008年に権勢症候群("Dominance theory")に関する声明文をだしています。
 かつて信じられていたこの理論が間違っていたこと、この理論に基づいた躾や訓練には攻撃行動を増大させるリスクがあること、家庭犬における問題行動のほとんどは誤学習によるものであり、環境設定と報酬(正の強化)を元にした躾や訓練で解決でき、そうすべきであることを主張しています。
 ちなみにこの学会では「罰」を使った躾や訓練に関する声明文もだしていています。
 科学的、臨床的な研究にもとづいて、「罰」には副作用があり、効果も疑問視されるという理由から、「罰」(主に嫌子出現による弱化です)を使った訓練や躾に反対しています。強化や弱化などの随伴性に関する用語解説まで付いていて、より詳細に「正の強化」(好子出現による強化)と「負の弱化」(好子消失による弱化)を使った方法を推奨しています。

 行動分析学の学会ではありません。獣医師会です。

 アメリカの獣医師(veterinarians)と日本の獣医師の資格や育成システムの違いは私にはわかりませんが、少なくとも日本獣医師会のwebサイトにはこうした提言や資料が見つかりません。
 とはいえ、“AVSAB”を日本語で検索すると、たとえば東京大学獣医動物行動学研究室のwebサイトからAVSABへのリンクが見つかります。まったく無関係ということではないのでしょう。

 ここから推察されるのは、アメリカで獣医師になるための教育課程には、強化や弱化などの学習原理を教える科目が含まれているが、日本の教育課程にはそれがないということです(どなたかご存知なら教えて下さい)。

 さらに、日本で家庭犬の躾や訓練に関わっている人たちの多くが、最新の(と言ってももう十年以上も前のことなのですが)研究について不勉強だということです。犬の躾や訓練について、権勢症候群の理論をもとに本を書くのであれば、少なくとも前々回の記事でご紹介した論文は読んでおくべきだと思うのですが、そういう形跡は見当たりません。ここでは具体的なタイトルをあげてそういう本を批判することはしませんが、犬を飼おうと思って私が読み始めたほとんどの本にはアルファシンドロームのことが書かれていて、それでいて、元になる研究についての言及もなければ、参考文献の紹介などもありませんでした。

 専門家なのに、専門書を読まずに本を書いてらっしゃる可能性が高そうな気配です。

 ただ、権勢症候群の理論をもとに訓練を続ける人は、不勉強だからというよりも、その方が仕事がしやすからなのかもしれません。これについては次回に書きます。

 AVSABがこういう声明を出さざるを得なくなった背景には、アメリカで一旦は衰退したようにみえた"Dominance theory"が復活傾向にあるからだという見方もあるそうです。
 その兆候の一つが、テレビ番組『ザ・カリスマドッグトレーナー〜犬の気持ち、わかります〜』(原題:The Dog Whisperer)の好評ぶりです。シーザー・ミランというトレーナーが主人公のこの番組、私はたまたまHuluで観たのですが、かなり笑えました。
 バラエティ番組にありがちな作りなので、どこまでリアルなのかはよくわかりません。視聴者からの依頼で家庭訪問したシーザーが、飼い犬を直接訓練したり(お腹のあたりにチョップを入れたりします)、飼い主を指導したり(「堂々としていなさい」的な助言が中心です)、自分の飼い犬たちに訓練させたり(そのための施設まであります)します。何が笑えるかと言うと、結局飼い犬の行動が変わったかどうかよくわからないケースが多いんですね。依頼した家族から届く後日談のビデオレターは、大抵、「おかげさまで調子いいです。まだまだ完璧ではないですけど」といったコメントがほとんどですし。

 どうやらアメリカではこの番組が人気なようで、飼い主がリーダーとしてしっかりするとか、パック(群れ)に犬を戻して矯正するといった訓練メソッドが再度盛り上がってしまい、たまりかねた獣医師会が立ち上がったという構図もあるようです。
 AVSABのブログにはそのような形跡も見当たります。たとえば、このブログ記事には、Gail Fisherというトレーナーさんの「Millan’s “television program set back dog training by about 50 years.” 」という発言が引用されていたりします。

 犬の攻撃行動や問題行動の原因や対処法について、科学的な知見とそれにもとづいたしつけや訓練の方法を教えるべき人たちがそういう知見を学ぶ機会が少ない(もしくはない)というのが、我が国で未だに権勢症候群の考え方がはびこっている理由の一つだと思います。

 でも、シーザー・ミランの人気やアメリカにおける権勢症候群の理論のカムバックからすると、それだけでもなさそうです。

 次回、この番外編シリーズの最後には、権勢症候群派だけではなく「正の強化」派でも陥りやすい罠について書いてみます。