自然と人間を行動分析学で科学する

島宗 理@法政大学文学部心理学科【行動分析学, パフォーマンスマネジメント, インストラクショナルデザイン】

芸術と言語行動と私的出来事と

TVの教育番組はほとんど観ないのだが(イライラするから)、たまたま日曜の朝に放映されていたNHKの『課外授業ようこそ先輩』に興味を惹かれた。

MAYA MAXXさんという画家が小学校に招かれ、子供たちに「自分らしく描く」ことを教える。「絵を描くことに正解も間違いもない。自分の気持ちを見つめよう」というのが彼女のコトバ。

授業では子供たちを4~5人のグループに分け、「冷たい」をイメージする絵を自由に描くように指示。自ら特殊なクレヨンを使った印象画を例として見せていたが、ほとんどのグループはむしろ説明的な絵を描き上げて発表。そのギャップも面白かった。

「説明的な絵」とは、たとえばプールで水をかけられて冷たそうにしている女の子とか、友達に「シカト」されて寂しそうにしている子とか、あるいは北海道の地図のように、何らかの意味がこめられた絵である。行動分析学的に言えば、イントラバーバルとして「冷たい」を引き起こすような言語行動をタクトさせるような絵のことである(いま、そう定義した)。つまり、北海道の地図→「北海道」→「寒い」→「冷たい」など。

MAXXさんの見本は、そうした言語行動の介在なく、絵を見たら「冷たい」と思うような私的出来事を生じさせるような絵だった。簡単に言えば、見たらブルっとくるような絵である。つまり、(抽象的な)絵→寒け(私的出来事)。

もしかしたら、芸術とは、作者が感じている私的出来事を言語行動の介在なく、作品を鑑賞する人に再現することなのかな、なんて考えた。

ちなみに私は芸術性ゼロ。小学校では図画工作の成績はいつも「2」(5段階で)。描いていたのは下のような、まさに「説明的な絵」だった(教師から通知票にそのようなコメントをもらったことを覚えている)。

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