自然と人間を行動分析学で科学する

島宗 理@法政大学文学部心理学科【行動分析学, パフォーマンスマネジメント, インストラクショナルデザイン】

再考シングルケースデザイン:吉田寿夫先生からの問いかけに答える(その2): 「フォローアップ」と条件反転による行動変容の有無について

吉田先生からの問いかけ:

ベースラインに戻したときに従属変数の値が介入前の値(の方向)に戻ることの意味について
・介入の効果を主張するための強い証拠?
・効果の持続性がない(強い効果がない)ことの証拠?
これらは矛盾することではないのか? 各研究では,どうなることを目指している(ないし,想定している)のか?
・介入の除去とフォローアップの違いは?

 最後のご質問に最初に回答します。 「フォローアップ」は学術的な定義がない用語です。なので「フォローアップ」と命名された条件でどのような手続きが用いられていたかについては各論文にあたるしかありません。ご指摘の通り、介入をそのまま続けて、介入の持続効果を評価した研究もあれば、介入を除去し、それでも行動が維持されるかどうかを検討した研究もあります。さらに、たとえば実験終了後、実験者が介入場面から去った後で、教員や保護者が同じ介入をどれだけの精度でどれだけの頻度続けたかはわからない状況で、とりあえず従属変数だけは測定したということもありえます。
 つまり「フォローアップ」と命名された条件で実際にどのような手続きがとられていたのかは、論文中にできるだけ詳細に書くか、あるいは「放置状態で不明」と書くべきであり、もし「フォローアップ」という名称だけ書いてあってそれ以外の情報が見当たらないようであれば、それは論文の不備にあたると思います(著者、査読者、編集委員会・長による査読&編集過程で確認、修正されるべきことだと思います)。

 介入を中止して行動が元に戻る、もしくは戻らないことをどのように解釈するかですが、これは標的行動に関する随伴性の解釈がどうなっているか、そもそもベースラインで標的行動が自発されなかった(あるいは自発されすぎていた)理由をどのように解釈するかによると思います。
 たとえば、大人の手をとってお茶の方に近づける反応(その形態から「クレーン反応」と呼ばれます)で要求していた子どもに、カードの交換でお茶を要求することを分化強化手続きで教えたら、分化強化手続きを継続しなくても、日常の随伴性がカードを見せる行動を強化し、維持することでしょう。その場合は、ベースラインに戻しても行動は反転しない可能性が高いです。つまり、日常生活には標的行動を強化する随伴性があるけれど、その行動レパートリーが未形成もしくは標的行動と両立しない行動が強化されていて自発されないときに、新たな、より望ましい標的行動を形成した(と解釈する)場合です。
 逆に、たとえば、登校してからの着替えに、他の子どもや教員にちょっかいをだしたり、座って自己刺激行動をしたりするなどの逸脱行動が多くて、時間がかかっていた子どもに、着替えが終わったらゲームができるといった随伴性を提供すれば、逸脱行動が減り、着替え時間も短縮できる可能性がありますが、この場合、介入前後で他に随伴性が変わらない限り(例:着替えが早く終わることでゲーム以外に何か楽しいことができるとか)、行動は元に戻る可能性が高いと考えられます。これは、日常生活に標的行動を強化する随伴性がないか微弱で、行動レパートリーはすでに習得されていても自発されない(と解釈する)場合です。
つまり、介入中止によって行動が元に戻るかどうかは、ベースラインと介入の随伴性を記述し、比較することで、予測し、解釈することになります。

 シングルケースデザインは介入の効果を検証する方法ではありますが、同時に、行動の制御変数をみつける方法です。たとえば介入が複数の独立変数からなるパッケージになっている場合などは、どの変数が効いたのかはわからないので、効果検証のみで制御変数の同定までには至らないケースもありえます。
 上記のような随伴性の分析により、介入中止後の予測をして、それがはずれる場合もあります(日常生活で強化・維持されると想定した新しい行動レパートリーが維持されないとか、介入を継続しないと維持できないと想定された標的行動が維持されたときなど)。こういう場合は、行動観察などから事後的に随伴性を再分析し、結果を解釈することも可能で、これは論文でいえば考察で論じるべきことでありますが、こうなると、その実験では制御変数が明らかになっていないことになるので、条件を追加してさらに実験を追加するとか、再試、追試をして不明な制御変数を明らかにする方が生産的であり、価値があると考えるのが、行動分析学では一般的です(推測や解釈より、条件操作による実証が重視されるという意味です)。

 ただし、これがそのまま学術論文の査読基準にあてはめられているわけではありません。「理想」的な、高水準の論文しか受理しないとしたら、掲載論文数が発刊に至るまでに足らないということになるかもしれません(これは国内の、研究者の会員数が少ない、小さな学会では、どこでも抱えている課題ではないかと思います)。
 つまり、機関誌に掲載されている論文がすべて「理想」的な研究論文ではないということです(ちなみに、行動分析学研究ではこれまで「原著」と「短報」という区分けで、この違いを明示してきています)。
 吉田先生がシンポジウムでご指摘下さったように、なぜそのような介入をするのか、どのように介入の結果を解釈するのかを、もう少し丁寧に書くべきとの印象を与える論文があることには私も同意見です。特に、推定される行動随伴性は明確に書き、論じるべきだと考えていますが、これは学会内で一致した見解ではありません。